Novel
小説
信じたところで救われない
※虫注意。検索しないでください
※モブがでしゃばってるかもしれない
※若干血注意
※ハッピーエンドではないのかもしれない
※長い
ふわふわしたティッシュみてぇな頭の悪そーな花が散り、幹を蹴れば大量のアメシロが降ってきて女が悲鳴をあげる季節。
まだ入学して間もない俺が「更生プログラム指導室」に呼ばれたのは、それでも遅すぎるくらいだった。
他校のやつボコったのがバレたらしい。昨日の夜中の話なのに耳が早ぇ。
こんなこと日常茶飯事なのにいちいち呼び出しするなんて暇なのか?
平和ボケした、ふざけた学校。
正直バックれようかと思ったが、一体どんなことを言われるのかという数ミリの好奇心から呼び出しに応じてやることにした。
俺の入った「更生プログラム」のリーダーは、どうやらこの学園の副会長でもあったらしい。
人を席に座らせて、長々と説教してくると思ったら目の前に置かれたのは原稿用紙。
「大事なうちの子にはちゃんと反省していい子になって貰わないとだろ?」
うちのってなんだ。お前を親に持った覚えはねぇ。
副会長だかなんだか知らねーけど、何様のつもりだよ。人に命令しやがって。
よく分かんねぇ魔力で椅子に縛りつけられてなきゃ、とっとと放り出して帰ったもんを。
文句言う俺に愛情故とか何とかほざいてたけど、反省文書くとかなんで一番やりたくないことをさせられなきゃならねンだ。
ふざけんな。アイジョーあんならこんなことさせんな。
人のこと苦しめようとやってるとしか思えねぇ。
こんなことして何になる。反省なんかしちゃいねぇ。文だけ書かせたって俺は何も変わらねぇ。
どうせ無駄なことなのに俺をどうしたい。
むすっとした顔をしていたら、男は
「私は君を助けてあげたいんだよ」
と笑った。
誰も助けなんか求めてない。人に何か求めるのはバカがすることだ。
そんな言葉誰が信じるかよ。
信じる者は救われないし足元見られて転ばされるだけ。
今までずっとそうだった。
差し伸べられた手を掴んで引き上げられた先に何が待ってるかなんて分かりゃしねえ。
俺は自分の身の程を知ってる。誰にも、助けも、救いも、何も求めない。
やっぱこんなとこ来なきゃ良かった。クソ、過去の俺を殴ってやりてぇ。
さっさとテキトーに書いて帰ってやる。
◆◆◆
生きたアメシロより死骸の方が増えた頃、また指導室に呼び出された。呼び出されたのは何度目か数えてねーけど、あれ以来バックれてたから指導室に入ったのはこれで2度目だ。
原因は保健委員のフェンだかファンだかっていい子ちゃんを殴ったことだった。
あいつが抵抗してこなかったせいで多少血が出たり骨が折れたりしたのが、どうやらこの学園じゃオオゴトらしい。
今回もバックレようと思ったが副会長の手下共のレイスに捕まり連れていかれた。
実体がないから殴れねーのに人を引っ張れるとかショージキ反則だと思う。
殴れたらこっちのもんなのに。
「俺は悲しんでるんだぜ? うちの子がうちの子を傷つけるなんて、一番悲しい」
またも飄々と言い放つそいつに苛立つ。せめてセリフと会った表情しろよ。
処罰は反省文。今度の内容は過去について書け。それは反省文じゃなくて自伝じゃねぇのかと思った。
前回は多少テキトーに書いても許されたのに、今回は許されなかった。
細かく、詳しく、じっくりと探ってきた。土に埋まった木の根を傷つけないよう手で掘るように、優しく、強引に。
前回の反省文が一番嫌なことだと思ってたが、それ以上の苦痛だ。思い出したくなんかない。なんでこんなことさせられる?
「君はなんで彼を殴ったんだ? そこには理由があるだろ?」
「リユーなんてねーよ、むしゃくしゃしただけだ」
「潜在的なものが影響してるんだね。それを理解するには己を知る必要がある。己の過去を振り返る必要がね」
無理やり記憶を引き摺り出される。深く湿った生暖かい土に埋めた、長く絡んで歪んだ形の根をズルズルと乾いた地上の空気に晒す。
"センパイ"の女に手を出して半殺しにされたこと。財布をスったのがバレて交番に連れてかれたこと。中華屋の裏でネズミと夜を過ごしたこと。ホームレスのおっさんにトンネルを追い出されて雨に濡れて凍えながら彷徨ったこと。空腹のあまり雑草を食って腹壊して吐いたこと。酔った男の灰皿替わりにされた背中の熱さ。タバコと酒の混ざったニオイ。瓶の割れる音。
若い女の悲鳴。「捨てないで」と男にすがるやたら赤い唇。そのくせ自分は人を捨てるのに1ミリも躊躇いがなかった。唇とは対照的に白い歯。その口から溢れる呪詛。「失敗だった」「私は悪くない」「こいつが悪い」「こんな子産まなきゃ良かった」「不吉な子」「こいつのせいで」「なんで私が不幸に」「1人にしないで」「私だけを見て」「私を愛して」──。
「ちゃんと自分を理解出来たか?」
スペルも間違ってりゃ形もおかしな汚ねえ字で殴り書いた原稿用紙を見て、書かせた男は笑った。まるで赤ん坊が差し出された指を握り返したのを見たような、そんな優しい顔。
何でそんな顔すんの。意味分かんねぇ。
意味分かんねぇけど──なんか、受け入れられた、と思った。
今の俺も、過去の俺も、全部。ひっくるめて。
たまたま月明かりが窓から差し込んでたせいか、青白い光が当たってて、ふと、教会を思い出した。
今まですっかり忘れてた、小せぇ頃の一晩だけの記憶。
散々過去をほじくり返されたせいか、やけにはっきりと思い出す。
雨風凌ぐために入った夜の教会。信じちゃいねぇ神とやらの銅像眺めてた時。なんでか涙が溢れて、誰もいねぇのに泣き顔を晒すまいと必死で我慢してた。
ボケた視界。目の前の光景と重なる。
光を糸にしたような銀色の髪、星の光を羽織るような白いコート、満月みてぇに金色に輝く瞳。
やけに神々しく見えた。
生まれて初めてかもしれない。緊張した。
「ちゃんと反省出来たようだね」
怒られることも、反省しろと言われることも、今まで何度もあった。
でもこんな声を聞いたのは今まで一度も無かった。なんだこれ。
知らない。「怒る」ってのはこんなもんじゃなかった。こんな暖かくなかった。
怒鳴って、殴って、気が済むまで罵って、それで終わりだ。
なんでそんな顔する? わけわかんねぇ。
人を怒る顔じゃねえだろ。そんな顔すんなよ。許されたと思っちまうじゃねぇか。
いくら反省したって、どんなに謝ったって、人は人を許せない。そうだろ? 今までずっとそうだった。
でもあれは許されてた。赦されてた。
認められてた。
「私はプログラムの皆が──君がとっても大切で、大事なんだよ。ちゃんとこの学園を卒業して欲しいんだ。だから、分かってくれるね?」
分かんねえ。なんにも分かんねえ。でも、初めて人に大切だって言われた。
やりたくねーこと無理やりさせられて、意味わかんねぇまま無理やり嫌な記憶かっぽじって、それでなんでこんなこと思うのか分かんねぇけど、初めて大切にされたって思った。
あぁ、家族って、愛されるってこんな感じなんかな。
万引きとかして父親が息子叱るみてーな、そんな感じ?
そういう話聞いても愛情だとか何だとか、これっぽっちも思ったことねーけど。
怒ると叱るは違うんだって、どっかで聞いたことがある。怒るは自分の為の感情で、叱るは相手の為の行為って。
じゃあ、生まれて初めて「叱られた」んだと思う。
なんか、ようやく理解したかもしれない。
「……帰る」
自分の心に苛立って、もう用済みだとばかりに部屋を出た。
◆◆◆
イライラする。
「イビルがイライラしてんのなんていつもの事じゃん」
いつもの4人で久しぶりに集まった。入学する前はよくつるんでた奴らだ。
女のヒモやってるポンパドールの「寄生」、半グレの下っ端やってた体格のいい「チンピラ」、孤児院で引き取り手のいなかった無口な「孤児」、そして俺、「不吉」。
誰も本名を知らないし、知ろうともしない。
そのまんまの名前で呼ばれてる。
「前髪引っこ抜くぞテメェ」
パラのふざけたポンパドールを引っ掴んで凄んでも、脳みそワタアメ男はヘラヘラ笑うだけだ。
「どうしたんだ? 高校行ったら屋根もメシもあるって言ってただろう」
サグは今は土方して食っていけてるせいか余裕がある。話を聞く体制に入ったのを見て、グチりたかったのもあり口を開く。
「副会長とかいうやつ。人のことおちょくりやがって…」
「いつもの事じゃね」
「髪の毛全部抜かれたいかパラこらハゲ」
「ハゲてないもん〜〜」
長いまま伸ばしてる後ろ髪を引っ張る。何本か手に絡まって抜けた。このまま全部抜けちまえ。
「あれは? いつも行ってる保健室の。そいつらはいいのか」
「いい子ちゃんヤローはいいんだよ、よえーし殴りゃ黙るし。先公は…まあ元々国直属の軍だかなんだかにいたらしいし? つえーのは分かるってか…このトシで勝てないのは当たり前っつーか…いつかぶっ殺すし数年後には八つ裂きしてっけど…」
また何か言いそうなパラの口の中に拳突っ込んで黙らせる。指を舐められた。慌てて服の端で拭う。
「例の女は? 柔道だか合気道だか」
「剣道な。あれも別にいいんだよ、あの女もまあムカつくが…誰にでも同じ態度つーか、俺だからクソうぜえ態度取ってるワケじゃねーっぽいし…」
「イビイビなんだかんだ人のコトみてるよねー」
「は? 俺はいつでも周りを見て気づかいの出来る男だが?」
「気づかいって言葉の意味逆に覚えてない?」
「下の毛まで毟られたそうだなぁ??」
「副会長は何が違うんだ」
いつもどっかいきがちな俺とパラのやり取りを元に戻して話を進めるのはサグの役目だ。
「あいつは…底が知れねえっつーか…笑ってるカオの下で何考えてんのか分かんねえっつーか…私生活が見えねえっつーか…」
「ふーん」
「よく分かんねえのがなんかやなんだよ」
「イビル、人のこと、興味無いのに」
ずっと黙っていたオーファンがぽつりと言った。
オーファンは無口なせいか喋る時は核心をついてくる。
「たしかに〜。別にヒトの私生活とかどーでもいーじゃんね。なんなら俺らの趣味すら知らなくねーお前」
「おめーらの趣味なんてキョーミねーわ」
「ほら。なのに何でフクカイチョーさんの私生活はキョーミあんの」
「別に、キョーミあるってわけじゃ…」
確かにそうだ。長い付き合いのこいつらの趣味どころかどこで暮らしてるかすらも知らないのに、どうして会って数ヶ月も経ってないあんなやつの事が気にかかる?
「お前にとってなんか特別なんだろ、そいつ」
「ビルビルについに春が来たか〜〜」
「ニヤニヤしてんな相手は男だ」
「性別とか今更っしょ。俺も今ケツ貸してんの男だよ〜?」
知りたくなかったわ、んな情報!
◆◆◆
アメシロの代わりに蝉が木を占拠し始めた頃、入学して一番デカい喧嘩をした。
きっかけは覚えてねぇけど、いい子ちゃんの猫かぶり男をちょっと揶揄ったら逆鱗に触れたらしく、反撃してきた。
日に日に凄んでも大人しくならず反抗的な態度してきたからこいつ少し同族のニオイすんなって思ってたけど、やっぱりだった。
どんなに更正しようと頑張ったところで本性は隠せないんだよバーカ。
最近は喧嘩する必要性もなくなって大人しくしてたから丁度ナマった体を動かしたかったところだ。
保健のセンコーが止めに入るまで続いたケンカは、寮の窓ガラス7枚と、椅子4つと机1つ、床と猫かぶりの血がそこそこ、俺の肋骨2本と肺の表面を犠牲にして終わった。
◆◆◆
サボる場所がない。
実技以外の授業はサボるのが常となっていた。
今朝は雨。水溜まりの張った屋上は使えないしどっかの部室借りようにも鍵が掛かってた。図書室は昨日使ったけど机で寝たら身体中痛くなってもう行きたくない。いつも行く保健室はベッドで寝れるから気に入ってたが、入れなくなってしまった。
治癒魔法のおかげで骨が折れたとは思えない程の早さで回復した俺は先週、いつものように保健室へ向かった。
そこに居たのは猫かぶり野郎。ドアを開けた瞬間、片足突っ込んでるのも構わず閉められた。
俺の左足を折る気か。
もっかい入ろうとしたけどバリケード作られたのかなんなのかドアが開かなくなって正直面倒くさくなってやめた。別にここじゃなくてもサボる場所はいくらでもある。
そう思ってた。
のだが。
じっと黙って保健室のドアを見る。誰にでも開かれた、俺だけを拒む扉。
ずっと教室にも寮にも居心地の悪さを感じてた俺が唯一何も感じず寝れる場所。
でもどうせ、また入れないか入ったところで追い出される。分かってるからドアを開ける気にはなれない。なれないのに、なんで俺はここに立っている?
ドアの前を行ったり来たりしていると、音も立てずぬっと白い影が俺の横に立った。
「ぅわっ、んだよ!?」
「何をウロウロしてるのかと思ってね」
副会長のヤローだった。
「…別に。何でもねぇよ」
「ふぅん?」
ニコニコと音が出そうなほどの笑顔に腹が立つ。
「私は中に用があるのでどいてくれないかな? それとも君はずっとそこに突っ立ってるのかい?」
ヤローがドアに手をかければそれはあっさりと開き、誰もいない空間が現れた。
「……入る」
誰もいないことにほっとしたのかがっかりしたのか、妙に落ち着かない気持ちで中に入る。ついこの間までは毎日のように入り浸っていたのに、久しぶりなせいか他人の家みたいな居心地の悪さがある。こんなに消毒液臭かったか、ここ。
ベッドに寝転がる。硬いスプリングに落ち着く。寮のはねるような柔らかいベッドより、地面で寝るのに慣れた俺にはこれくらいがちょうどいい。
「……」
目を瞑ると、動かない男の気配を強く感じる。
「…なんか用事なんじゃなかったのかよ」
「用事のある相手はレイチャー先生だからね。ここで待たせてもらうよ」
「ふーん」
待つくらいなら職員室にでも行って探しゃいいのに。そう言おうとしてどうせ探してもいなかったからここに来たんだろうと口を閉じる。俺の考えることなんかとっくに実行に移してるんだろ、こいつは。
「先生は職員室にはいらっしゃらなかったよ。訓練所にもいないようだしこの時間は受け持つ授業もないからね。ここで待つのが一番早い」
「聞いてねぇ興味ねぇ黙れ。俺は寝る」
人の心を読んだみたいに話し出すから若干の動揺が出た。こいつはいつも人を見透かしたような目をしてるから、少し、マジでほんの少し、0.000001ミリくらい、……怖い。
「怖がらなくてもいいよ」
ほらこういうとこだよわざとやってんだろお前!
寝たフリを決め込む。時計の音が響く。校庭の方からはしゃいだ声がする。窓が空いてるのか、湿った生ぬるい風が時折カーテンを小さく揺らす。
暫くして、また男が口を開いた。
「君は、本当は暴力が好きじゃないんだろ?」
何を言われても反応しねぇって決めてたのに、思わず顔を見てしまった。
憐れむような、安心させるような、笑ってるような、悲しんでるような、無表情なような。
「逆だろ。むしろ好きなんだろってよく言われる」
あぁ、返事しちまった。クソ。
「周りはね。でも君を見ていれば分かるよ。暴力はあくまで手段であって目的ではない。だからこの学園に入学して以来、入学前と比べて格段に暴れる回数が減った」
「……」
「君のそれは基本的に何かを得るためと何かから守るための2種類だね。今回のフェンネル君との喧嘩は後者だ。己の身とプライドを守るため。条件反射もあるんだろうけど」
「勝手に人をブンセキしてんじゃねぇ性格悪ぃ」
「図星を刺されると人は機嫌が悪くなるね。君の機嫌がいい時なんて見たことないけど」
「機嫌良くしたきゃとりあえず黙ってろ」
「フェンネルくんはね」
「黙れ」
「彼は繊細だから、少しのきっかけで閉じかけた傷口が開いてしまうんだよ。ああ、それは君もかな」
「黙れって言ってんだろ」
「彼が何に傷ついてるのか、君は本当に気づいてないのか?」
「耳ついてねぇのか」
「気付こうとしてないだけで気付いてるはずだよ」
「だから黙れって、」
「君はここを気に入っている。彼のこともね」
「別にあんな猫かぶりなんとも思ってねぇよ」
「せっかく見つけた居場所と仲間だ、無理もない」
「は? んなこと誰も」
「それを無くさないためにはどうすればいいと思う? 簡単だぜ、幼稚園児にだってできる」
「人の話聞けって」
「謝る。たったそれだけのことさ」
こちらを見もしないでペラペラと話し続けた男が、言葉を止めてこちらを見る。感情の見えない瞳。午後の光が入って白く反射する髪。眩しい。目を細める。
「お前、何がしてぇの」
「大事なうちの子達に仲良くしてもらいたいだけさ」
時計の規則正しいリズムが鼓膜を叩く。揺れるカーテンの影が不規則に曖昧に白い男の姿を縁取る。校庭から人の声は聞こえなくなって、代わりに遠くからメスを求めるセミの憐れな鳴き声。
──ガラッと、の開く音がした。
こわばっていた肩がびくりと揺れる。入口には保健委員の猫かぶり──フェンネルが、立っていた。
「会長。どうしたんですか? 授業はさっき終わったはずなのに、まさか出席せずにずっとここにいたんですか?」
「先生を待っていたんだよ」
「多分もうすぐ来ると思いますけど。……あ」
ようやく俺に気づいた。こちらに目をやった瞬間、潰れたアメシロの死体を見つけたみたいに、みるみると顔が歪んでいく。嫌悪と、不快。最近はあまり見なかった、でも人生で一番見慣れた表情だ。
「なんで彼がいるんですか。……お前はここにいる理由も権利もない。出てけ」
前半の副会長への向けた表情と後半の俺へ向けた表情の差があまりにもわかりやすい。
ここまで嫌悪を全面に出されると、もはや反抗する気力も無くなる。もともと気力がだいぶ無くなってたせいもある。
大人しく立ち去ろうと起き上がると、意外な人物が抵抗した。
「残念ながらここにいる権利は全ての学生にあるし彼は怪我人だ。こないだ退院してきたばっかりだぜ? 理由もある」
「なんであんたが庇うようなこと言うんですか。というか治癒魔法でもう完治してるでしょう」
驚いたのは猫かぶりも同じだったらしい。意外そうな、苛立ったような口調。後半は苛立ちの方がちょっと強い。そういえばこいつも副会長のことそんな良く思ってなかった。
「イビルくんが君に言いたいことがあるらしいからね。ちょっとしたお節介さ」
「言いたいこと?」
「は、何ぬかしてやがんだオイ。言うことなんかなんもねぇ」
「さっき言ったろ? 幼稚園児にも出来るって。君はそれが出来ないのかな」
「そもそもやるなんて言ってな…」
「ほら、3、2、1」
なんで人間ってのはカウントダウンされると焦っちまうんだろう。別にゼロになっても何も起こらないって知ってんのに。
「あ、いや、その……」
「ゼロ」
たじろぐ。二人の待つ姿勢が嫌だ。背中がムズムズする。痒い。
「…………」
待つな。こっち見てんじゃねえ。黙ってんじゃねえよクソ。
「………………」
白髪野郎はニヤニヤしてやがるし猫かぶりは疑わしそうに見てるしあぁ腹が立つ何だよこれ。
逃げるか、ドアの方は白髪野郎がいるから止められる。じゃあ窓から逃げるか。
逃げたって別に構やしねぇんだ。保健室来れなくなったってなんの問題もねぇ。だから謝る必要なんて、別に、
「わ、るか、……った、よ、その。…こないだの」
ギリギリと食いしばった歯の間から絞り出た言葉に、猫かぶりの顔が唖然としてくのがわかる。
クソ、居心地悪い。なんで俺はこんなこと言ったんだ。逃げようと思ってたのに。
「うーん、15点かな。まあ君が言ったっていう勇気に免じて25点にしてあげよう」
飄々とつまらない採点をつけるあの口にメリケンに変化させた指輪ごと拳ねじ込んでやりたい。
「ほら、フェンネル君。返事は?」
「え? …あー、まあ、うん。そうだな、……こちらも過ぎた発言があった。すまなかった」
憮然とした表情だが、思ったよりあっさりと猫かぶりは頭を下げてきた。
ケッ、そんな素直に謝んなら最初から追い出してんじゃねぇよクソ。
「またここに彼が来ても追い出さないでやってくれる?」
「……保健室を使う権利は全ての学生にあるんでしょう。授業中サボりに来たら容赦なく追い出しますけど」
「よかったよかった、これで一件落着だね!」
仕方なく、といったように肩をすくめる猫かぶりと、くすくすと笑う白野郎。
「…俺もう帰るわ」
一刻も早くこの場から立ち去りたい。顔が熱い。体が熱い。あーここ窓空いてるせいでクーラー全然効いてねぇわ。やたら汗が出てくる。
「おい、まだ帰りのホームルームがあるだろ」
「君はそうやってすぐに逃げる癖があるね」
後ろで何か言ってるが知らねー知らねー知らねー!
これ以上あんな場所にいてたまるかよ。
乱暴にドアを閉めて早歩きで寮の方向へと向かう。
余計なこと言ったせいで居心地がさらに悪くなった。
あー、けど、まあ、多分。
明日も行くんだろうな、俺は。
同じ居心地の悪さでも、さっきまでと違ってこの居心地の悪さは……そんなに、嫌いでもない、気がする。
今日の夜は寮で猫かぶりと逢わないことを祈りつつ、俺は歩くスピードを早めた。
◆◆◆
「イビイビがぼーりょくキライって? ホントに言われたの、それ」
人工着色料丸出しの青いアイスを咥えながらパラは雑誌のグラビアを開いている。さっきこの公園で拾ったやつだ。
もともとボロボロだった雑誌にボタボタとアイスが垂れて更に悲惨な状態になってるが、年中色ボケポンパ頭は気にしないらしい。
「まあ事実だし? 分かるやつには分かんのよ。俺がマトモな男だってこと」
同じく真っ青なアイスをかじりながら土管の上でパラを見下ろす。
「…イビイビはお笑い芸人は目指さない方がいいね」
「笑い取ろうと思って言ってんじゃねーんだけど!?」
「ぷ、くく」
「いやオーファン笑ってるぞ。もしかしたらお笑い芸人の才能あるかもしれない」
「サグも黙れ。そいつのツボがおかしいんだよ」
「あ、アイスたれてる」
「お前らが下らないこと言うからだろう」
「なめちゃえなめちゃえ」
いつもの空き地、いつもの4人、いつものくだらない会話。
「話もどすけどさー、フクカイチョーさんそんなにイビイビのこと分かってんの? セッテンそんなないんじゃなかった?」
「そもそもカンがいいんだよヤローは。人の心読めんじゃねーの」
別に暴力は好きじゃない。これはガチ。ただ、自分の力を示すため、言うことを聞かせるため、望みを叶えるため、生きるために必要だっただけだ。
でも、そんなの誰にも信じてもらえるとも思ってなかったし、まさか指摘されるとも思わなかった。
「そもそも俺自分から喧嘩したことねぇよ?」
「何言ってるんだ」
1ミリも信じてない顔。わりとまともなサグなら分かってくれると思ったのに。
「いやほんとほんと。いつも向こうから反抗してくんの」
「反抗って言ってる時点で反抗されるようなことをお前がしてんだろうが」
「いや金持つやつが持たざる者にホドコシを与えるのは当たり前じゃね? それを断られましても」
「やっぱりカツアゲしてんじゃねーか!」
どつかれたタイミングで俺の持ってるアイスが落ちた。
「おい。残り1口あったんだけど。慰謝料1000万」
「もとの値段の100倍じゃんうける」
「10万倍だよバカ。とりあえず100って言っとくの色ボケバカがバレるからやめとけ」
「バカって言ったやつがバーカ!」
「イビルは金の計算だけは早いよな。他は俺たちと変わらないのに」
パラは食い終わったアイスの棒を確認し、『ハズレ』の3文字を見て投げ捨てた。オーファンは口をベトベトにしながらちまちま舐めている。
「どう考えても俺が一番賢いだろ。なんせ高校通ってっから? 義務教育以上の教育を受けてんだよ中卒共め」
「中学校ろくに行ってないやつに言われたくないですぅ〜」
「くだらないマウントを取るな。そういうのは就職してからにしろ。俺みたいに」
「死にたい?」
「殺すぞ」
パラが丸めた雑誌を掲げるのと、俺が落ちたアイスの棒をサグの鼻に突っ込もうとしたのはほぼ同時。
「まさか『殺すぞ』とか言ってる奴が暴力が好きじゃないとはなぁ」
雑誌と棒を同時に片手でへし折りながら大男は大袈裟にため息をつく。腹立つ。
「『暴力はあくまで手段であって目的ではない』つまりお前を殺すのは目的だから暴力じゃねぇ」
「……それ言われたの、よっぽど嬉しかったんだな」
「殺す」
「アタリ」
「アタリじゃねえわ大ハズレだっつの俺は全く嬉しくもなんとも」
「違う。アイス。アタリ」
オーファンの持つアイスの棒には『アタリ』の文字。
「なーに一人慌てちゃってんの〜? かーわいー」
「すね毛毟るぞ」
「なんでこないだっから俺の毛に対しての殺意が高いの!? そんなに俺に全身脱毛してほしいの!?」
「あーあーして欲しいよまずは頭のクソうぜーロン毛から永久脱毛な」
「まあ、良かったよ」
「は? 何が。パラの永久脱毛が?」
「ちげーよ。お前に理解者が出来たこと」
髪をわしゃわしゃとかき混ぜられた。
サグは背がでけーから俺をすぐ肘置きにする。
「理解者…とかじゃ、ねぇと思う、けど…」
「理解してくれてるんだろ? なら理解者じゃねーか」
「リカイシャってどういう意味だっけ」
「バカは黙ってろ」
「またバカって言った!」
はぁとため息をつく。せめてサグと二人で話せば良かった。
「もう一本、もらう」
オーファンが立ち上がりコンビニに向かっていく。
「つくづくマイペースだな、あいつも…。そもそもコンビニで交換してもらえんのか? あれ」
「知らね。当たったことねーし」
「一応俺ついてくわ」
サグも立ち上がりオーファンの元へと駆けてゆく。あいつも面倒見がいい。すこし副会長に似てるかもしれない。
…?
いやいや何言ってんだ、どこも似てる要素ねぇだろうが。何でもかんでもあのヤローと結び付けて考えるな。
「俺らも帰るかあ」
サグにへし折られた雑誌を放り出し、パラは大きく伸びをする。
「…おう」
自分の思考にイラつきながら、こんな暑い中外にいるせいだと気温に責任を押し付けた。
◆◆◆
「学園の中等生をカツアゲしたんだってね。どうしてだ?」
嫌な奴に捕まった。副会長だ。
「そりゃ金がねぇからだろーがよ」
「おかしいな…君は特別支援枠だ。寮も学食も無料のはずだが…遊ぶ金が欲しいのか?」
顎に手を当てて考えるポーズ。わざとらしい。
「そりゃそーだろ」
「嘘だね。君はカツアゲはしても遊ぶ金欲しさに人を脅したりはしない。違う理由だろ?」
なら聞いてくんじゃねーよ!
「テメェの事だからわかってんじゃねぇの」
「別に人の心が読めるわけじゃないからね。分からないことも沢山あるぜ」
ほんとかよ。
説明する気なんかサラサラなく、そのまま無視して通り過ぎようとすると腕を捕まれ引き戻された。
コイツの手下共だ。いつの間に現れやがった。
「少しはいい子になってくれたかと思ってたんだけどな。残念だ」
「あっそ。じゃあ一生残念がってろ」
「困ったね…。そうだ、いい子にしてたらご褒美をあげよう」
レイスを何とか振りほどこうとしていたが、その言葉に動きが止まる。
「ゴホービ?」
「そう。ご褒美に褒めてあげよう」
「いらねーよそんなもん」
一瞬期待した俺がバカだった。
「はは、冗談だよ。君は何か欲しいものがあるんだろう? いい子にしてたらそれをプレゼントしてあげよう」
ニヤニヤ顔。よく見ると目は笑ってない。
「…やっぱり知ってんじゃねーかよ、クソ」
「知らないのは本当だぜ? 予測しただけさ」
「じゃあ何欲しがってんのか知らないでそんなこと言ってんの」
「そうだね」
「マンションとかベンツとかが欲しいっつったらどうすんだよ」
「言わないよ。君はそんなものに価値を感じてはいない。……けどまあそうだね、プレゼントしてあげてもいいよ。その代わり車の維持費やマンションの固定資産税は君負担になるけどもね」
「性格悪ぃヤローだ」
「それを言われるのは2度目だね」
車もマンションも、本当に欲しいといえばくれるんだろう。こいつの目はマジだ。
「…ホントに、なんでもくれるんだろうな」
「私に褒められるようないい子にしてたらね。具体的には、そうだな…。100ポイント目指そうか」
「は? ポイント?」
「そう。こないだ謝ったのが25点だから今の手持ちは25ポイント。あと75ポイント、頑張ってくれ」
「頑張るったって、何を……」
「それは自分で考えなさい。じゃあね」
自分が引き止めておいてさっさといなくなりやがって。
ま、ゴホービくれるってんなら許してやるか。1回で25点ならあとたったの3回だ。すぐにクリアしてやる。
◆◆◆
「最近真面目だな、君は」
今日保健室に訪れたのは放課後になってからだった。授業を真面目に受けたからだ。
「俺は生まれてこの方ずっとマジメデスヨセンセー」
「そうか。これからも真面目にな」
「君、何が目的だ?」
「おめーにはカンケーねーだろ」
「……サボりじゃないからと許してやったがそもそもここは怪我や病気の人たちのための場所だ。健康体の君が居座るべきじゃない。出てけ」
「あー保健委員クンに締められた肺が痛いなぁー。内臓は治るのが遅ぇんだよなー」
「こいつ…!」
「まあまあ、落ち着きなさい」
猫かぶりと俺の前にカップが置かれる。コーヒーは苦いから嫌いだ。
「目的がなんであれ、真面目になったのはいいことだ。いつかそれが当たり前になるといいな」
猫かぶり野郎は黒い液体に砂糖をドバドバ入れて飲んでるが、泥水に何入れたって泥水だ。砂糖そのまま齧った方がまだ美味ぇ。
「俺はずっとマジメだっつーの」
ただ、生きるために仕方なく手段を選ばず生きてきただけだ。でも今は必要が無くなったから。
いつもコエー顔してるセンコーがなんか優しく見えて、ケツがムズムズする。
「もう帰るのか?」
立ち上がると、猫かぶりが見上げてきた。手付かずのコーヒーを気にするようにちらりと視線を向ける。
俺は泥水なんてもう飲まねぇからな。
「いて欲しいのかよ」
「そうじゃないけど…」
そもそもサボるために来てた場所なのに、なんでサボる必要のない放課後にまで入り浸ってんだ俺は。
『君はそうやってすぐに逃げる癖があるね』
保健室のドアを後ろ手に閉めた時、少し前に保健室で言われた言葉を思い出した。
逃げて何が悪い。そうやってしか生きて来れなかったんだ。立ち向かうなんて面倒せえことは漫画の主人公にでも任せてろ。
俺は主人公じゃない。
◆◆◆
「最近突っかかってこないな。素行も真面目になったと聞く。どうした?」
たまたま通りすがった着物女に声をかけられた。
こういうことを誰かに言われるのはもう何度目だ。
最近周りがやたらとマジメマジメうるさい。
「フン。俺にはそんなくだらねぇ時間ねーんだよ」
「副会長さんに褒められるためなんだって?」
「は!!?? ちげえし!! 誰が言ってたんだよそんなん!!」
「本人が言っていたぞ」
「クソホラ吹き野郎が…」
舌打ちする。最近周りがウザかったのはそのせいか。
「褒められるためじゃねえよ。褒められることしたらホービくれるっつーから」
「結局は副会長に褒められるためだろう? 間違っていないじゃないか。なぜ顔を赤くすることがある」
「何が赤いって? 眼球抉り抜かれたいか?」
「真面目になったと聞いていたが、口の悪さは変わらないな」
「ほっとけ。俺は忙しいんだよ」
「忙しい?」
「ホシューがあんだよホシュー。授業サボってた分出ろって言われてんの」
「ホシューって…補習か? 君が?」
俺が「補習」なんて言葉を言うとは思っていなかったみてぇだ。
見開かれた目は明らかに「意外だ」と書かれている。
クソ、そんな目で見てくんじゃねぇ。
「そーゆーことだから」
ヒラヒラと手を振って教室へ向かう。
「本当に変わったんだな…」
しみじみとした声が背後から聞こえてきて、また舌打ちしたくなった。
◆◆◆
「私に褒められるために最近頑張ってくれてるんだって? 嬉しいな」
「だっれがそんなこと言った!!?? ちげーーーから!!!」
「クックク、わかりやすいねぇ君は」
「だからちげーーって!!!!」
補習が終わり帰ろうとした所で白髪野郎がやってきた。
ニヤニヤした顔がムカつくが、その言葉を否定しつつも期待を消せずにいる。
『マジメ』になってから一週間経つ。そろそろポイントも溜まっただろ。丁度確認したかったところだ。
「で、今何点だよ」
「32点」
「……は?」
想像とあまりに違う数字に一瞬考えが止まる。
「あーそういうこと? 25プラス32で57点てこと? もっと高いと思ったんだけど? 100点いかなくても90点は行くだろ」
「いや、合計で32点。前回からプラス7点だよ」
「……は?」
なんだそれ。どういうことだよ。
俺がこの一週間マジメマジメからかわれるのにも耐えて必死に努力したってのに、なんで。
「君はもしかしたら勘違いしているのかもしれないけど、ちゃんと授業に出て勉強するのはこの学校では当たり前の事なんだぜ。むしろ1点でもプラスになっていることを喜んで欲しいね」
「ふざけんなよ、少なすぎんだろ!」
「妥当だよ。平日1日1点に補習2回で2点。補習はマイナスになってもおかしくないのにプラスになってるだなんて俺は本当に身内に甘い」
甘い…? 甘い? これが? 1週間でたった7点が?
ざけんなクソが。満点になるまで何日かかんだよ!
これじゃあ間に合わなくなっちまうかもしれねぇだろ。
「焦ってるね。『欲しいもの』は期限付きかい?」
貧乏揺すりのせいで机がガタガタと震えている。徐々に揺れが大きくなっていく脚を強い力で抑えられた。
「こら。マイナスにするよ」
脚に触れることで顔が近くなる。息がかかりそうだ。うぜぇ。顔を背ける。
「ふざけんな」
「語彙が乏しいね。ふざけてるつもりはないさ」
「この野郎…!」
「あと68点、頑張れよ」
チクショウ、騙された! 最初から『ゴホービ』渡す気なんてさらっさらなかったんじゃねぇかよ!
「ご褒美はちゃんとあげるよ。俺は約束を守る男だからな。期限があるなら『真面目になる』以外も頑張らないと」
「何を頑張れっつーんだよ」
「それを考えるのは君の仕事さ」
俺より頭1つ分以上デカい男を上目遣いで睨む。
何考えてんのか分かんねぇ顔。
あークソ無駄になげえ白髪掴んでぶん回してやりてぇ。
「私にはいくらでもポイントをマイナスにする権限があるってことを忘れずにね」
こいつに心読まれるのも慣れてきた。
どうせ野郎は俺のこと分かってんだ。多分他の誰よりも。俺はお前のことなんかさっぱりだ。
「こっちは期限は特に決めてないから、君が焦るのは勝手だけど、まあ、頑張れ」
また言いたいことだけ言ってさっさと教室を出ていきやがる。
本当に腹立つ。
こんなやつのためになんで俺は…!
「やってやろーじゃねーか」
何がなんでも間に合わせて、『ゴホービ』ちゃんと貰ってやる。
手のひらの上で踊らされてるのは承知の上。それでも俺はメリットをとる。
俺はがめついんだ。踊らされてやるよ。
◆◆◆
つまり、『普通の生徒がしない良いこと』をすればいいわけだ。
ただ出席するだけじゃなく授業で発言して、戦闘実技でも卑怯な事せずに真っ向から完全勝利して、掃除とか当番も積極的にやりゃーいい。
元々飲み込みは早ぇんだよ。やらなかっただけでデキる男なんだ俺は。
いっそここまで変わると周りの奴らも気味悪がって何も言わなくなった。うるさくなくなって丁度いい。
「78点。頑張ってるじゃないか」
点数を聞いたら白野郎は頭かき混ぜてきた。子供扱いすんな。俺はテメェのガキじゃねぇ。
「素直だねぇ。『嬉しい』って顔に書いてあるよ」
「書いてねーし! 目腐ってんじゃねぇの」
こいつマジでエスパーだろ。
「君がわかり易すぎるだけさ」
クソ、やっぱり読まれてる。
でももういい。あと少しだ。もう少し。
「もう少しで、『ご褒美』貰えるね」
昨日確認してきたら間に合いそうだった。
絶対、手に入れる。
「嬉しいよ、君がいい子になってくれて」
本当に嬉しそうな顔。やめろ腹立つ。お前のためにやってんじゃねぇ。ホービの為だ。
「残り22点。頑張ってね」
今俺がどう思ってるのか分かってるくせにこういう所は無視しやがって。
「言われなくてもやってやるよ。せいぜい財布の準備しとけ」
ビシッと指差すと、「人を指さすのは行儀悪いよ。マイナスにされたいのか?」と手ごと握りこまれた。
乱暴に振りほどいて背を向ける。現時点での点数がわかったからもう用はない。
少し体温が上がった気がするのはあいつの温度が移ったせいだ。
白野郎、結構手がでかい。あと、思ったより温かい。
体温なんてなさそうな顔してんのに。
なんだよ、そんなんどうでもいいだろ、クソ。
本当は走って思考を追い払いたかったが、あいつが見てる前で減点されかねないことは出来ねぇ。
あとちょっとだ。早く終わらせてやる。
少しでも早くこの場を去ろうと大股でズシズシ歩く。背後で笑われてる気がする。
あー腹立つ。
それでも以前より苛立ちが大分抑えられてることに、俺は気づいていた。何でなのかは知らねーけど。
◆◆◆
「101点。おめでとう! ついに100点超えたね!」
両手を広げた大袈裟なポーズに普段ならイラつくところだが、今日は機嫌がいいので見逃してやる。俺心広ぇ。
「ま、俺様にかかればこんなところだな」
「3ヶ月以上かかると思ってたのに、1ヶ月足らずで終わるなんて俺でも想像してなかったよ」
「何でもお見通しのアンタでも分かんねぇことってあんだな。ま、それだけオレが凄かったってことか!」
胸を張る。正直自分でもこんなに早く達成するとは思ってなかった。マイナスがなかったのは奇跡に近い。と言うよりは、副会長が見逃してくれてたんだろう。前に本人も言ってたが、甘い。
俺にとってはありがたい話だけど。
「そうだね。凄いよ。よくやった。さぁ、ご褒美だ。何が欲しい?」
「どうせわかってんだろ」
「予想はつくけど細かいところまでは確認しないとね」
「……」
口を開きかけ、やめる。言うより見た方が早い。
「アンタ、これから時間あるか」
「いいぜ。ついていってあげよう」
まったく、話が早い。やっぱりお見通しかよ。
「……来い」
ニヤニヤ顔も勝手に心読まれんのも今はもうどうでもいい。
これから行く先の事で俺の頭はいっぱいだった。
ようやく。ようやくだ。
ようやく欲しいものが手に入る。
そして窮屈な『マジメ』な日常ともおさらばだ。
◆◆◆
「おい。どこから盗んできた。最近真面目になったと思ったのに……。やっぱり君は君なんだな」
放課後の学校の駐輪場。こんなところで猫かぶり野郎と鉢合わせるなんて思ってなかった。舌打ちする。
「なんでテメェがこんなとこいんだよ。寮暮らしだろ、学校まで徒歩1分じゃねぇか」
「野暮用だよ。何も悪いことはしてない、君と違ってね」
「はァ? 俺が悪いことしてるみてぇに言うなぁ?」
「してるだろう。それ本当に君のものなのか」
猫かぶりが指差したのは俺が乗ろうとしていたバイク。
MVアグスタのBRUTALEシリーズ。
血のように赤い車体に漆黒のホイールが輝く様は「走る宝石」という2つ名を欲しいままにしている。バイク好きなら誰もが知る一級品のバイクだ。
一介の学生なんかじゃ手も届かない高嶺の花。ましてや元ホームレスで特待生枠で学園に通ってる俺なんかじゃ一生手に入らない代物。
「盗んでねーよ、これは俺のだ」
「どこの誰から奪ってきた? 殴ったのか、騙したのか?」
「だから俺のだつってんだろ!」
「どうしたんだ、こんなところで騒いで」
俺が声を荒らげた時、軍医のセンコーがやってきた。
「先生……」
「……ふむ」
センコーは顎に手を当てて考えてる様子だ。こいつは信じてくれっか。
「学生は、自転車やバイク、車の送迎などがある場合は届出を出さなければならない仕組みになっている。君はバイクの使用届は出していないね?」
「……出して、ねぇけど…」
「寮暮らしの場合は駐車場を使用する場合の保管場所届出も必要だが、それも提出していないね?」
「……してねぇ」
「たとえそのバイクが君のものだったとしても、校則違反だね」
まさかそっちから責められるとは思わなかった。やべえ。
「き、昨日手に入れたんだよ! これから書類出す! だからいいだろ!?」
「私はバイクにはあまり詳しくはないんだが……。バイクの場合、購入する際本人証明が必要になると思うんだが、君がどうやって購入したんだい?」
「入学した時に学校が戸籍作ったって言ってたじゃねーか!」
「君は作成した戸籍や本人確認書類を持っているのかな。君のことだから無くしてしまっているんじゃないか?」
やばい。雲行きが怪しくなってきた。猫かぶりと違って淡々と理攻めしてくるからタチが悪い。
「う、それは…たまたま、持ってて…」
「本当かい?それなら今から寮に行って見せてもらおう」
「あ、いや、もうなくしちまって…」
「昨日買ったのに? 今日無くしたのか?」
「そ、それは…」
「そもそもバイクの免許は持っているのか? 運転してきたなら携帯しているはずだが、出してもらえるか?」
「う、……」
「校長に言いますか、警察に届けますか?」
猫被りに冷たい視線を向けられ、MVアグスタのハンドルを握りしめたまま俯く。
ここ最近『マジメ』になったから忘れてたけど、俺、頭悪ぃんだった。すぐに言い返せねぇ。これじゃ本当に盗んだのを隠してるみてーじゃねぇか。
「拾ったんだよ。たまたま」
「そんな綺麗な状態で? 新品みたいに見えるけど」
「…直したんだよ」
「誰が? 君がか? そんな高級そうな車を?」
保健委員の犯罪者を見る目。センコーの温度のない目。
なんだよ、こんなときこそ来いよ副会長。どうせどっかで見てんだろ。
アンタならわかってんだろ。上手く説明出来んだろ。ゴイがヒンジャクな俺と違って。
いらねー時はいるくせに、なんでこういう時はいねーんだよ。
クソ、せっかく今日はコイツ存分に乗り回そうと思ってたのに。
バイクに跨り、エンジンをかける。
「おい、君はまた逃げるつもりか!」
「あーそうだよ逃げんだよじゃあな!」
猫被りの責める声を無視して、何か考え込んでる様子のセンコーとの間をすり抜ける。
そのまままっすぐ校門へ。
無駄になげぇアプローチを歩く生徒がいきなり現れた俺にビビってる。
どーよ。俺の愛車は。
見せつけるように、必要以上にゆっくりと走る。
はやく広い道かっ飛ばしてえ。
ようやく完成したんだ。
俺がゴホービに望んだのは、このMVアグスタ──ではなく、その部品だった。
1年以上前、俺がホームレスやってた頃だ。不法投棄を漁っては換金できそうなものを探して食いつないでた時に、潰されたコイツを見つけた。
半分スクラップになってたが一目で分かった。今はもう販売されてない、BRUTALEシリーズ。
コイツを捨てた奴はバカだ。例え半分壊れたって俺なら絶対手放さない。壊れて動かなくなっても、外側だけでも修理して手元に置いておくのに。
……待てよ。
これ、俺が貰っちまってもいいんじゃねぇか?
どう見ても捨ててるし、俺が拾ったもんは俺のモンだ。
自分1人じゃ動かせない重さだったから、ホームレス仲間のジジイ達に手伝って貰っていつも寝床にしてる廃工場まで運んだ。
不法投棄所も、廃工場も、よくわかんねえ部品が山ほど落ちてる。
俺のバイクに必要そうな部品を探し、ひしゃげた車体を何とかかき集めた金でバイク屋に頭下げて少しずつ直しかた教えてもらって、ちまちま元の形にしていった。
もうすぐで完成という所に、『ゴホービ』の話が出た。
ずっと探してたけど見つからなかった、エンジン部品。
中古の型だから滅多に手に入らないしクソ高ぇ。
たまたまそれを中古車の店で見かけたのだ。
『ゴホービ』の話を聞いた時、脳に浮かんだのは低い唸り声を上げ道を奔る愛車の姿。
あの部品。誰かに取られる前に俺が欲しい。金がなくて諦めてた。初めて光が見えた。
たとえ動かなくても飾っておきたい、けど、やっぱり動かしたい。乗りたい。
そのためならいくらでもイイコちゃんになってやる。
そうして、ようやく、全ての部品が手に入ったのだ。
初めて動いた。時間をかけて直していった俺の愛車。
「なのに、なんで盗んだとか言われなきゃいけねんだよ、クソッ!」
校門で一旦止まる。駅の方に行くか、山の方に行くか。大勢に見せつけてやりてー気もするけど、こいつを自由に遊ばせてやれるのは人通りのない道か?
「きゃあ!」
山の方へとハンドル向けようとしたその時、甲高い悲鳴が聞こえた。
声のした方に目を向ける。目に入ってきたのは、銃を持った柄の悪い連中数人と、中でも大柄な男に片手で抱え上げられた女生徒の姿。血が垂れてる。撃たれたのか? いや発砲音は聞こえなかった。じゃあ刺されたのか。
声の主はその女の友人らしい。固まってぶるぶる震えてる。
「ここにいる奴ら全員集まれ。逃げようとしたら容赦しねえぞ」
出っ歯の男が耳障りな声を張る。その奥にハゲとチビの男。2人とも銃を持ってそれぞれ別方向に構えてる。これじゃ逃げ出すのは簡単じゃない。
門の影にいた俺は今の所見つかってないが、バイクで逃げようとしたらエンジン音で気づかれるだろう。せっかく直したコイツを撃たれたらたまったモンじゃねぇ。
生徒らを集めながらあたりを歩く男達。こっちにくる。もしこのバイクが見つかったら絶対奪われる。それは避けたい。
仕方ねぇ、行くか。
バイクをここに置いて帰るのも不安だし、それなら捕まって奴らの動向見張ってた方がいい。
「頼むから、誰にも盗られねぇでくれよ」
愛車をひと撫でし、男達の方へ向かった。
◆◆◆
生徒達は体育館に集められた。
数人が男達に縄で拘束され、転がされている。逃げようとした奴らだ。全員どこかしら撃たれたせいで奴らのケツの下には血溜まりが出来上がってる。ここまで漂う、鉄の匂い。
撃たれた彼らを見て、他の学生達はビビってもう誰も声を上げずにいた。
どうやら銃にはサイレンサーがついていたらしかった。だから最初音が聞こえなかったのか。
そのせいか、未だ教師達は誰も気づかねぇらしい。つくづく平和ボケしてやがる。
さっさとこんな所からはおさらばしたいが、飛び道具を持った複数人が相手じゃ俺一人だと若干厳しいものがある。
クソ、戦闘訓練とかあるくせになんでここの生徒は誰一人戦おうとしねぇんだよ! 実戦経験があるやつはいねぇのか。
周りを見渡す。皆一様に怯え切った顔をしている。当たり前か。
中にはいくつか見覚えのある顔。もしかしたら更生プログラムで見た奴らかもしれない。覚えてねぇけど。
クソ、あいつらプログラム中ではイキってるくせにこういう時はビビりやがって。
いや一人、戦う意思を持った目をしてる奴がいた。着物女だ。
でもそれを実行できないのは相手が人質をとったうえに遠距離武器を持ってるからか。あいつがいくら強くても、木刀と銃、しかも1対4だ。話にならねぇ。
大人しく教師が気付くのを待つか? でもそれいつになるんだ? そもそも教師もアテになんのか?
「ざっと30人くらいッスかね。どうです、いいのおりやした?」
ハゲが大男に向かって何か聞いてる。
「さあな。ここは金持ちのガキが集まってる学校だ。こんだけいりゃ、親からも学校からもそこそこ巻き上げれんだろ」
身代金目的か。
じゃあ俺は問題ねえな。金も親もねぇ。
「巻き上げられない奴らはどうします?」
「女は売る。男は…そうだな、まあ臓器でいいだろう。若いし奴隷でもいいな」
クソ、だめだ。問題あった。
バイクも心配だし、さっさと開放されたい。
一か八か、挑んでみるか。
一人じゃ難しくても、隙を作ればあの着物女が参戦してくるかもしれねぇ。
そろり動いて一番下っ端そうなチビの後ろに回る。両手にはめた指輪をメリケンサックに変化させると同時に、背後から一発。
「ぐっ」
鈍いうめき声をあげてチビが沈む。その瞬間、着物女が木刀を振りかざすのが見えた。
よっしゃ、いつもはうぜえと思ってたけど今日ばかりは頼もしい。
「動くな」
内心ガッツポーズを決めた瞬間、額に冷たい感触。瞳だけを動かす。グラサンをかけた男が俺に銃を向けてる。
「こんな学園に随分とやんちゃなボウズがおるなぁ? おめぇ、いい度胸してんじゃねぇの」
なんだコイツ。さっきはいなかったぞ。畜生、4人じゃなくて5人だったのかよ!
「おい、邪魔者はヤっとけ」
大男の命令に「ヘイ」とグラサンが応える。
気づいたら着物女も出っ歯に締められていた。
クソが!
今日は厄日だ。なんでこんな目に。
首に回された腕を引っ掻きながらもがく。足がつかない。このグラサン、背え高ぇ。
「ジタバタとうぜえ虫やな、さっさと──、ッ!」
もがく勢いでそのまま後ろ蹴りをくらわそうとしたその瞬間、急に拘束が緩んだ。
「私の大事な仲間達に、何をしてくれるんだい?」
気付くと生徒達は白い何かに守られるように男達から遠ざけられ、グラサン達も同じような白いもので拘束されてた上に失神していた。
あれは……レイスだ。
「副会長!」
拘束を解かれた着物女が叫ぶ。俺等が手も足も出なかったこいつらを一瞬で片付けたのは、白髪の野郎だった。
「もう大丈夫。ありがとう。君たちが隙を作ってくれたおかげだ」
にこりと微笑むその顔に浮かぶのは、心配と安心。
「……ふざけんな」
「え?」
「ふざけんな! 俺は一人でも大丈夫だった! ぶっ潰せた! ちょうど蹴り喰らわせる瞬間だったんだ! 余計な手出ししやがって!」
助けなんかいらなかった。俺は救いなんか求めちゃいなかった。あんなザコ、平気だった!
「…そう。でも、無事でよかったよ。君達はうちの大切な生徒だからね」
白野郎はレイスに守らせていた生徒達の方へ向かっていく。
ふざけんな。人の話聞けよ。俺の言いたいこと、アンタはなんでも分かってるはずだろ。
野郎は「怖かったね」「心配しなくていいよ」「よく耐えた」とか怪我した奴らに声をかけてる。
「来るのが遅くなってしまってすまない。痛いだろう。応急手当てをするから少しだけ我慢してくれ。すぐにレイチャー先生に診てもらおう。今こっちに向かってるはずだ。うん、大丈夫。後のことは任せて」
そいつらなんか構ってねぇでこっち向けよ。
「なあ、今日はマジで最悪だったんだよ。バイク、盗品扱いされてさぁ。昨日一晩中かけて修理したんだぜ? おかげですげぇ睡眠不足で」
「そうか。災難だったね」
「…は、」
振り向き頭を撫でられる。優しい言動とは反対に、低く淡々とした声にゾッとした。
他のやつらは自分のことで精一杯なのか何も感じてないらしい。邪魔者を見るように俺を睨みつけてくるやつもいる。こいつに違和感を覚えたのは、俺だけか。
「君は傷一つないみたいで本当に良かった。そんなに喋れるなら精神面も問題ないようだ。君も大事な生徒だ。安心したよ」
本当に安心したというように目を細める。大切な生徒を心から心配していたってカオ。
「副会長、手伝います」
「君も危ない目に遭っただろう。ここは任せて、休んでおいで」
着物女が声を掛ける。白野郎はそちらを向き、ぽんぽんと女の頭を撫でる。
優しくてアイジョーいっぱいの顔。思い出す、神のニセモノの銅像。
ゾっとした。目の前にいる奴が知らない人間に見えた。
さっき、俺を覗き込んでいた彼の金色の眼に、俺は映っていなかった。
いや、映ってはいた。野郎の視界に俺は入ってただろうし、瞳には歪んだ俺の顔が反射していた。
でも、「俺」は映ってなかった。映ってたのは、「大事な更生プログラムのメンバーの一人」。「嫌われ者のイビル」じゃない。
今、着物女を見る目と全く同じ目をしてた。
……そうか。あーそう。そうだった。
散々俺のこと「大事」とか言ってたけど、「俺が大事」じゃなくて「俺も大事」だったな。聞き逃してたわ。
「プログラムのメンバーはみんな大事」か。更生プログラムに入ってたら誰でも大事かよ。
なんか勝手に俺が特別扱いされた気がしてたけど、勘違いだったわけだ。ハナっからそう言ってたもんな。騙されたわけですらない。勝手に思い込んだだけだ。
俺が勝手に作り上げてた「副会長」。都合のいいもんしか見てなかった。本当のこいつは、こっちだ。
コイツの特別なんか、最初からいねぇんだ。誰もが特別で、誰もが特別じゃない。
なんで特別なんだと思ったんだ? バカだろ。思い上がりも甚だしい。
黙り込んだ俺は副会長に群がる他の生徒らに押しのけられ、どんどん距離が離される。
あいつの目は誰を見てもずっと変わらない。さっきと同じ温度で、他の奴らが映ってる。心配だ、大切だ、って目。
もう俺のことは眼中にないらしい。怪我人が優先。当然だ。俺なんかに優しくする方が間違ってる。
それでも少しでも相手してくれてたのは、俺が特別だからじゃない。
みんな同じだからだ。みんな大切だからだ。俺だけじゃない。
それなのに必死こいてマジメになってみせて、上がる点数に一喜一憂して、何やってたんだ、俺。
目的は達成したけど、なんだかんだマジメになった自分も悪くねぇじゃんとか思って、これからも多少はマジメになってやってもいいかなんて思ったりして。
でも、ちょっと良くなったところでマイナス1000がマイナス900になる程度の差しかねぇんだ。
元々がマイナスだったらいくら点あげたところでマイナスのままか、せいぜいゼロになるだけ。プラスになんてならない。
どんなに頑張ったって何も変わらない。バカバカしい。
初めっから思ってたじゃねぇか。
別に何も期待してないし望んでないって。
いつから俺は何かを望んでたんだ?
信じる者は救われない。恩は仇で返される。
助けを求めてないのに勝手に助けられるのも、それもまた失望に変わる。
俺は他の弱ぇ奴らと同じように見られてるのか。
庇護対象。可愛い可愛い子供達。
いつまでもその立場から抜け出せない。
そんなもんだ。こんなもんだよな。
はーあ。何やってたんだろ。俺。
センコーが来て、保健委員と一緒に縛られてた奴らの傷を診てる。
床の血溜まりは赤黒く乾き、蹴散らされ、広げられている。
いつの間にか大男達は消えていた。他のセンコーか誰かが連れてったのか、白野郎の仕業か。
なんかもうどうでもいいわ。体育館から出る。誰にも引き止められない。
天を顔を向ける。やや傾きかけた太陽の主張が激しくて眩しい。目に染みる。
血みてぇな赤々しい空が現実感を失くさせる。
あぁ、そうだ、バイク。
一瞬でも存在を忘れてた自分が信じられない。
走っていけば、校門には無事愛車が止めたままの形で大人しく待ってくれていた。
今日は遅いし、山の方へ行くのは諦めよう。
いつもは夜中回っても遅いなんて思わないくせに、そうやって理由付ける。
悪ぃな、MVアグスタ。気分戻ったら、遠くまで連れてってやるから。
シートに跨り、寮へと戻る。
「……あいつにも、自慢してやろうと思ってたんだけどな」
数時間前まであったワクワク感は、すっかり消え去っていた。
◆◆◆
「昨日のバイクの件。疑って、すまなかった」
授業サボって保健室で寝てたというのに、猫かぶりが謝ってきた。
どっかから聞いたらしい。
「…フン」
「あと、賊への勇敢な対応も、…見直した」
「あっそ」
テメェに見直されてもしょーがねーんだよ、クソ。
「副会長が教えてくれたんだ。俺は何も言ってないのに疑っていたことを見通されていた」
お見通しなのは俺の心だけじゃねぇってもうわかってんのにな。
サグにもそう言ったのに、なんで忘れてた──いや、あえて見ないフリしてたのか。自分に都合よく考えて。
「でもあんなに真面目になるなんて…そんなに好きなんだな」
「は!? べつに好きじゃねーし!」
「え、好きじゃないのか? バイク。ずっと前から手入れして自分で修理してたんだろ?」
「あ、いや、バイクは、好きだ」
焦った。副会長のことかと思った。んなわけねえだろ何で焦る必要がある。
「君にも趣味があるのかと驚いたよ。表面だけ見て、わかったような気になってたけど、君のこと何も分かってなかったみたいだ」
だから、テメェなんかに理解されてもしょーがねーんだよ。俺が分かって欲しいのは、
「別に、誰にもリカイなんざ求めてねーよ」
「そうか」
沈黙。きっとあいつなら「わかりやすい嘘をつくね」とか「理解されたがってるんだろ?」とかニヤニヤしながら返してくんのに。
ああ、なんでそんなしょーもない想像してるんだ。
比べても意味ないことだと分かってるのに。どうしても頭にチラつく、白い影。
クソが。
「寝る。もう話しかけんな」
「おい、ここでサボるな」
無視して目を瞑る。
猫かぶりはそれ以上責めることはしなかった。
結局この日俺は、一度も授業に出なかった。
◆◆◆
「急に呼び出して申し訳ないね。先日の誘拐未遂犯たちのことだ。学園側が君に話を聞きたいと言ってきた」
事件があって数日経った放課後、レイスに無理やり引っ張っていかれた指導室。入るのはこれで3度目だ。
「ンなもん、他の奴らに聞けばいいだろ、あんだけ人数いたんだから」
「聞いているよ。全員にね。あと聞いていないのは君だけだ」
「誰に聞いても起こったことは同じだろ。時間の無駄だ、帰る」
「帰らせないよ」
手をかけたドアは開かない。
座ったまま机に肘をついている白野郎は、俺が入った時から全く動いていない。いつの間に鍵をかけやがった。鍵は内側についんのに、どんなに捻っても動かない。相変わらず底知れねぇ野郎だ。
「鍵かけたら他のセンコー入ってこれねんじゃねぇの?」
「私一人で話を聞くから十分だよ」
「ただの生徒の癖に『学園側』なのか、テメェの立場は」
「そうだよ。私は少し、特別だからね」
表面上だけのやりとり。その下ではきっと別のことを考えてる。
「……なんのつもりだよ。さっさと終わらせろ。今俺は機嫌が悪いんだよ」
「君の機嫌がいい時なんてあったっけ──そうだ、例の『部品』を手に入れた時は珍しくはしゃいでて可愛かったな」
「…ッ!」
思わず叩きつけた拳が壁を震わせる。
大きな音に驚くこともなく、男は微笑んだままだ。
「可愛いって言われて照れちゃったか? いくらツンデレでも、暴力はよくないなあ」
「ふざけんなよ、マジで殴るぞ」
「今までしてこなかったのは、俺に勝てないと分かっていたからだろう? 今更殴ろうとするのか?」
握ったままの拳をさらに深く握りしめる。手のひらを指先が抉る。最近拳を使ってこなかったせいで爪が伸びたみてぇだ。
こいつの言う通り、殴ろうとしてもどうせ止められるか、下手すりゃ反撃されて痛い目を見るだけなのは分かってた。
「突かれたくない所だったかな? 悪いね」
爪の先ほども悪びれてない言い方で、尚更煽るように言ってくるのはワザとか? いつもより俺を苛立たせにかかってる気がする。今日は何か違う。何をしようとしてる。
「今日は『ご褒美』をあげようと思ってね、呼んだんだよ」
「…? ホービは既に、貰ったけど」
「それは前回までに溜まった分。今回は、更に溜まった分。賊へ果敢に向かった勇気は学園からも大きく評価されてるんだよ。私の評価も加えると、ゆうに100点を超える」
「…なんだそれ、ポイントカードみたいな話か? 100ポイント溜まったら次のカードって? テメェとことんふざけてんな」
まさかそんな話が出るとは予想だにしておらず、失笑が漏れる。そんなことのために、俺を呼んだのか?
「誰が100点満点だなんて言った? 前回101点って言ったよね。100点が上限じゃない。さらに上に行く余地がある」
あの時は部品のことで頭いっぱいで気にしなかったけど、確かに違和感はあった。なんで101点なんだって。
「じゃあ満点はいくつだよ」
「上限はないよ」
「一生ポイント貯め続けろって?」
「500ポイント溜まったら、さらにスペシャルなご褒美が貰えるぜ!」
グッと親指を立てて白い歯を光らせる。冗談を言っているようにしか思えねぇ。
「……ほんと、ふざけてやがる」
「我が子のやる気を出させるのが保護者の使命さ」
「いつの間に保護者になったんだよ…」
ハァと相手に聞こえるように大きなため息をつく。でも、わざわざ呼び出してこんなことを言うなんて──ちょっとした期待が生まれた。
「で? 随分と俺を贔屓してくれてるようだけど、もしかして俺なんか気に入られた? 誘拐野郎殴ったことがそんな評価されてんの?」
「贔屓じゃないよ。正当な報酬だ。そもそも君がもう100ポイント達成するなんて思ってないしね」
「舐めてんのかよ」
期待するんじゃなかった。
「違うよ。君はもともと欲のない人間だ」
「は? んなの誰にも言われたことねーぞ」
「何度も言ってるけど、君は目的なく悪さをするような奴じゃない。それは善行も同じだ。今までは『生きたい』『まともな生活がしたい』っていう根本的な欲求があったからね。それを除いたらバイクくらいだけど、もう手に入れてしまった。君の欲しかったものは全て揃ってしまっている。だから、これ以上努力する必要がない」
あぁ、やっぱりコイツは俺のこと、分かってる。理解されてる。
でも、『全て揃って』るわけじゃない。
「…あるぜ、もう1つ、欲しいモン」
「言ってごらん」
どうせこいつは分かってんじゃねえのか? なのに、言わせるのか。
わざとなのかそうじゃないのか、俺には判断できない。だから、結局言うしかない。ムカつく。
「もし500点達成したら、何くれんの?」
「なんでもあげるよ。俺が動かせるものは全て動かそう」
どうせできないと思ってるからこそ言える戯言だ。
「じゃあ、もし500点いったら、俺は認められるのか?」
「もう認めてるぜ?」
「…言い方を変える。マイナスがプラスになるのはいつだ? 俺が他の『フツウの生徒』を超えるにはどれくらいかかる」
「…真面目に勉強した成果かな。よく気づいたね」
「んなもん俺が最初からマイナス人間なのはわかってんだよ。自分の位置くらい」
「なるほど、そうだね…。あと1000点くらいかな?」
想像通りすぎて笑えるな。これももしかしたら読まれてんのかもな。数字なんて、ただの記号だ。もうなんの意味もない。
「……もし、1000点取ったら、俺はアンタの特別になれんのか?」
意味ないと分かってて、それでも期待しちまう。バカだほんと。
「既に君は特別だよ」
「ンなの俺がプログラムメンバーだからだろ!」
思ったよりでけえ声が出た。目の前の男は想定通りだというように笑ってて、むしろ俺の方が自分に驚いてる。なんでだ、知ってたはずなのに。
「君が私に何を求めてるか知らないけど、残念ながらいくら頑張ってくれても君の気持ちに応えることは出来ないね。俺も俺の心は動かせない」
背にもたていた上体を起こし、少し前のめりの体勢になる。たったそれだけなのに、距離が近づいて、知らず全身が強ばった。──これが、本題だ。
「知らない? は、そこまで嘘もわかりやすいと笑う気も起きねーな」
「知らない方が都合がいいだろ? 君にとって」
「…クソが」
ああ、ようやく分かった。バカだから、ここまで言われないと、今の今までずっと分からなかった。
こいつが俺を呼んだのは、誘拐犯の話を聞くためでもなくふざけたポイント制度の話をするためでもねぇ。
俺を、諦めさせるためだ。
こいつはやっぱり知ってんだ。いつからだ。俺より先に気づいてたのかもしれない。
そのうえで知らないふりして、こうやって回りくどく、ポイントみてぇなくだらない話を持ちかけて、直接言わせないことで俺のプライドを保とうとしてる。こんな時まで嫌味な野郎だ。
でも俺だって気づいてた。知ってた。結果がどうなるかくらい。
気づいてて、でもほんの少しの希望が見えちまったから、ちょっと悪あがきしてみただけだ。わずかな可能性に賭けたくなっただけだ。結局はそれすらも相手の掌の上だった。
知ってたじゃねえか。相手に期待するな。望んだところで返ってくるのは失望だけだって。
「『もし』つっただろ。俺は、お前に何も望んでねーしお前なんか初めて会った時からずっと嫌いだよ」
「私は君が好きだけれどね」
「本当に嫌な奴だな、お前は」
笑うな。俺の心を見え透いてるんだと、俺にわからせるな。
バカにわからない程度に、うまく転がせてくれればいいものを。
いつもみたいに、何考えてるかわかんねえ顔してろ。
クソが、クソが、クソが!
知ってる。それが、アンタの優しさだ。アンタは、本当に、優しい。残酷なほどに。
「お前なんか、大っ嫌いだよ!」
どうせバレてる嘘をつくことを、誰が止められる?
最後の見栄だ。プライドだ。もう2度とこんなやつのことは信じない。
吐き捨てると同時にドアに手を掛ける。さっきはピクリとも動かなかった鍵がいとも容易く回転した。ほんとにこれで話は終わりってことだ。
ドアを閉める音が人気のない廊下に鳴り響く。目が乾く。傾きかけた夕日の黄色い光が四角い窓越しに突き刺さって、痛い。乾いた目を刺激から守ろうと、本能が身体中の水分をかき集める。目を閉じる。熱い。
信じる者は、救われない。とっくに知ってた。
なのに性懲りもなく信じて、信じたけど、やっぱり救われなかった。それだけの話だ。
今までの人生と何も変わらない、当たり前の結果。
俺は結局、救われない。