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小説

ファンデーション

Author:ちゃだ

「部外者はテント立ち入り禁止だ」
「は?」
いきなり団長であるダスティンの個別テントに入りふんぞり返ったのは、サーカス団副会長ことエリオットである。
通常団長の私室に入ることは皆遠慮するのだが、唯一彼だけは自室のように入ってくる。いや実際、彼の私室よりもこちらにいる時間の方が長いかもしれない。
一言言うだけであとは座ったまま黙っているエリオットに、ダスティンはまたいつもの不機嫌かと原因を考えた。
「先週妹たちが来ていたのが気に入らないのか? そろそろお前たちも大分仲良くなってくれてると思っていたんだが…」
「違う!」
違うらしい。ではなんだ。彼のご機嫌ななめには慣れているが、思わぬ所で不機嫌になるため未だに彼の怒りポイントが分からない。
「他に俺のテントに立ち入る奴なんてお前くらいしかいないが、何かあったか?」
正直に問うと、彼はクイーンらしく顎をツンとあげ、見下すような視線をこちらに向けた。
「あくまでもすっとぼけるつもりか」
「本当に分からないんだよ」
「これだ」
エリオットが掲げたのは薄桃色の本体と金色のキャップのついたチューブ。シンプルな金色のロゴが上品なデザインでプリントされている。ひと目でわかる。化粧品だ。
「クリームファンデーションか。それがどうした?」
「どうした、だと…?」
つり上がった眉がさらに上がり、眉間の皺が増えた。整った顔は怒ると迫力が出て美しい。
「お前これを見てもとぼけるとはいい度胸だな…!」
背後に黒いオーラのようなものが見える気がする。流石は女王の約儀を冠するだけはある。
「これはお前の部屋で見つけたんだ」
「…また俺の居ないうちに勝手に入ったのか」
「話を逸らすな。何故こんなものがお前の部屋にある!」
「サーカス団なんだから皆メイクはしているだろう」
「舞台用メイクとそうじゃないものの違いくらい僕にもわかる!」
「そうなのか。すごいな、成長したじゃないか」
思わず褒めるとキッと鋭い目で睨みつけられた。
舞台用メイクも専用スタッフに任せている彼がまさか化粧品の違いが分かるとは思っていなかった。流石に数年やっていれば覚えるのか。
「馬鹿にするな。このファンデーションには『薄づき・美容成分配合』と書いてある。舞台用メイクに相応しくない。確実に女が使うものだ」
なるほど、だから違いが分かったのか。
「よく見ているな。いつもメイク用品なんかに興味なさげなさそうなのに」
「言い訳するなら聞いてやろうと思ったが、あくまで話を逸らしてしらばっくれるつもりか」
「あ、いやそういうわけじゃ…」
「じゃあ何だこれは。どういう理由があって、お前の部屋に女物の化粧品がある?」
逆ハの字に上がった眉、不機嫌に細められた大きな瞳、ムッと尖らせた唇。彼をこんな表情にさせているのは自分への嫉妬故だと分かり、ダスティンは思わず頬が緩んでいた。
「俺は浮気なんかしていないよ」
「何故笑っている」
チューブをブンブンと振って責めるお前が可愛くて、と言いかけ、口を閉じる。今言ったら火に油だ。
「お前はまだ十代で若いから分からないかもしれないが、20代も後半になると必要になってくるんだよ」
「女遊びが芸の肥やしになるとでも? 古い考えだな」
「そういう意味じゃない。そのファンデーションは、俺が使うんだよ」
「はあ?」
明らかに信じていない顔。確かに、ガタイの良いアラサーの男が使うには薄桃色のパッケージはあまりにも不似合いだ。
「舞台用メイクは厚塗りで汗や激しい動きでも落ちないだろう? 効果が強い分、肌与える影響も強い。うちが使っているものは肌に優しいものではあるが、それでも影響が全くないとは言えない。若いうちは問題無いかもしれないが、この歳になると多少肌が荒れて来るんだよ」
納得したような、しきれていないような表情。しかし逸らしていた胸は戻り、考えるように視線も下に落ちていた。
「舞台や練習場で浴びるライトも強い。そういう時は素肌より何かつけていた方が肌に良いんだよ」
「知らなかった…」
「エリオットには美容クリームとボディクリームを塗ってやってるからな。もう数年経てばまた必要になってくるだろうが」
黙り込んでしまった。俯いた前髪から覗く頬は少し赤い。己の勘違いを恥じているらしい。
「ありがとう。嬉しいよ」
エリオットの隣に座り、肩を抱き寄せる。彼は素直にもたれかかって来た。
「意味が分からない」
「嫉妬してくれて嬉しいって言ってるんだ」
「誰が、嫉妬なんか…」
してない、とは言わずにそのままごにょごにょと口を噤んでしまう。
歪む唇がたまらなく愛おしくて、ちゅ、と小さく口付けを落とすと彼は抱かれた腕を振りほどき勢いよく立ち上がった。
「僕はもう、寝る!」
向かった先はテントの出口──ではなく、ダスティンのベッドだった。
こんもりと盛り上がった上掛けに、つい顔がほころぶ。
ああ、この女王様は本当に可愛い。
布団の上から丸まった体を抱きしめ、囁く。
「俺はお前しか見ていないよ」
羽毛の向こうにも声が届いた証拠に、大きなミノムシは小さく震えた。

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