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小説

喧嘩

Author:ちゃだ

サーカス団「トロンプルイユの匣」の本拠地は、偶然にも団長──ダスティン=ベンカーの故郷と遠くない場所にあった。
サーカスに季節などはないが、それでも繁忙期とある程度時間の取れる時期とある。
また、ショーのために一定期間公演せず練習に励む期間もあるため、そういった時期は本拠地に戻り各々休んだり練習したりするのだ。
本拠地に戻ると、団長は必ず実家に戻るか、彼の妹達がサーカス団を訪れるかが恒例となっていた。
そして今回も、ベンカー家の姉妹が訪れていた。
「今日はお出かけしよ! 新しい洋服が欲しいの!」
「有名パティシエのスイーツの新作が出たの。知ってる?」
兄の足元にたむろして図々しくねだる少女達。
我儘を我儘とも思わずやに下がった顔で彼女らを撫でる男。
それをエリオットは少し離れた場所でチラチラと見ていた。
面白くない。
正直、全く、面白くない。
そもそもダスティンは妹達に甘すぎるのだ。
もう11歳と14歳だというのにこの甘ったれようは如何なものか。同年代の団員はもっとしっかりしているというのに。兄が甘やかしすぎたせいで精神年齢が5歳は幼いのではないか?
ダスティンもダスティンだ。たまに会えたからってホイホイブランドの洋服だの高級スイーツだのを与えるんじゃない。妹達を甘やかすために毎日必死に練習して公演して稼いでるのか?
そう問えば肯定しそうなのが余計に腹立たしい。
「おい」
顎を上げて声を発せば、名を呼ばれずともダスティンはこちらを振り向く。
「僕、そろそろ休む準備したいんだけど。いつまで妹にかまけてるつもり? 早く用意して」
いつものように着替え等の準備をさせようと声を掛ける。ダスティンも毎度のことなので手馴れた様子で支度に向かった。
ようやく自分の方へと気を向けた事に満足し、息を吐く。
すると残された2人の姉妹がこちらを睨んできた。
「何? あんた」
「お兄ちゃんを足蹴に使うとか…生意気」
「…は?」
座った状態でも彼女らより高い目線で足を組んだまま見下ろせば、少女達はますます敵意を向けてくる。
「言っとくけど、私達はまだあんたがお兄ちゃんの恋人だって認めてないから」
「いつも恋人ができる時はまず私達に顔を通してから付き合うのに、今回は勝手にして」
「しかも過去最低の相手だわ」
ずんずんと音がしそうな勢いでこちらへと近づいてくる。
「この人服も自分で着れないし髪もお兄ちゃんにやらせるし」
「洋服なんて私達だって8歳の時には自分で着れたのにね〜」
「ハイスクールの時のレベッカさんはお兄ちゃんをかっこよくコーディネートして服をプレゼントしてくれたのよ」
「今は服飾デザイナーになってるんですって。お兄ちゃんのおかげね」
「カレッジの時のヘルガさんは我儘達といっぱい遊んでくれたしボランティアにも積極的だったわ」
「人を助けるのが好きなんですって。偉いわよね〜」
「それに比べてこいつは何? 美味しいスイーツどころか料理も出来ないし」
「2こ前のマリアさんはいっつも美味しいスイーツ持ってきてくれたのに」
「どこもいい所ないじゃない。生意気で傍若無人で」
「まるで主人と奴隷みたい。対等じゃないわ」
「こんな人に付き合わされるなんて、お兄ちゃんが可哀想──」
バチン。
反響した音と共に姦しかった甲高い声が止まる。
長女の頬が赤く腫れ上がっている。
ジンジンと手のひらが熱を持っていた。
先程まで生意気そうな顔をしていた少女の瞳にみるみるうちに涙が溜まってゆく。
心の中に溜まった反論や苛立ち、嫉妬、様々な負の感情が、最悪な形で現れてしまった。
あ、と思った時にはもう遅い。
「エマ!」
とうとう声を上げて泣き出した長女の名前を呼んだダスティンが、目の前を通り過ぎる。
妹に駆け寄ってくる彼に、なんの反応も出来なかったし、彼も自分になんの反応もしなかった。
優しい兄はそのまま妹を抱きしめる。
エリオットの服は近くの台に置かれていた。
「どうした、何があった? もう大丈夫だ。怖くない」
「…あ、の」
なにか言い訳をしようとしたのか、自分でも何を言おうとしたかわからぬまま声が出た。
彼は気づかず妹をなだめている。
「その、僕は…」
今度は呟くように、しかし聞こえる程度の音量で声をかけた。しかし男は振り返らない。
「……ダスティン」
男は振り返らない。
──無視、された?
普段の彼なら最初の本当に小さな声でも聞き逃さず「なんだ?」と気づいてくれるだろう。
エリオットのどんな声も、言葉も聞き漏らさず反応する男だ。
しかも、名前を呼んだ。
今までに片手の数も呼んだか分からない名前を。
名前を呼ぶ度花が咲くように喜んで「もっと言って欲しい」と言っていたのに。滅多に呼ばない名前を呼んだのに。それでも、こちらを見ようとしない。
まるで、存在そのものを認識していないみたいに。
こちらに向けられる彼の背中が己の全てを拒絶しているように見えて、瞬間、エリオットはその場から逃げ出すように走り去っていった。

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